1週年NOTE

『マエボン』発売1周年。1年前の今日、素人出版革命が起きました。

前田デザイン室の浜田綾です。
フリーランスのライター、編集者です。

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(1年前、マエボンを手に持つ私。)

ちょうど1年前の今日9月29日に、前田デザイン室が作った雑誌『マエボン』が発売されました。

コルクの佐渡島庸平さんの言葉をお借りするなら「素人出版革命」が始まった日です。私はこのプロジェクトで、編集長を務めさせていただきました。マエボン発売1周年に寄せて、この1年を振り返るお話にお付き合いいただけると嬉しいです。


マエボンを作るきっかけはこうでした。

CAMPFIRE COMMUNITY FESTIVAL というイベントが9月に開催されることを知って、前田さんが「前田デザイン室の出し物として雑誌を作ろう」と言い出したことがきっかけでした。

「前田デザイン室の名刺代わりとなるような雑誌を」それが前田さんからのオーダーでした。その頃、つまり2018年6月ごろの前田デザイン室はというと、ドット絵のタロットカードにウンチアートの缶バッジなどコミュニティができた2018年3月からハイペースすぎるくらいにプロダクトがどんどん生まれていました。それゆえ「アウトプットのペースをもう少し落としては?」という意見もコミュニティ内にはあったほどなんです。

そんな流れがあったことも影響してか、この雑誌の制作も当初は決して肯定的な意見ばかりではありませんでした。スケジュールから考えると、2ヶ月で雑誌を作らねばならないのに、雑誌を作ったことをある人はほとんどいませんでしたから。出版に携わっている人からすれば、なかなか無謀な条件だったそうです。「それでもやりたい」と声をあげたメンバーが中心となり制作をはじめ、最終的には40いや50名くらいのメンバーが制作に関わってくれました。この当時の前田デザイン室はメンバー数が100名。気づいたらコミュニティの約半数メンバーが参加した一大アクティビティになっていました。


無知で無謀だからこそできた。

「無知からくる行動とか発想ほど破壊力があるものはない」とは、尊敬する編集者 箕輪厚介さんの言葉です。この時の私たちは無知で無謀そのものでした。出版に精通している人が多ければ多いほど「それは無謀だからやめよう」となっていたかもしれない。かと言って全員素人だったら、2ヶ月で全てを完結することはできなかった。9割素人で、「無茶なことするなぁ」と思いながらも力を貸してくれた理解ある経験者が1割。このバランスが無茶を突破しました。

今でこそ「素人出版革命」と称していただいてますが、当時の私たちは「新しいことやってやろう!」「世間をあっと言わせてやろう!」みたいな高い理想はなくて、ただ自分たちが面白がってやっている取り組みをやり遂げたかったのです。すごくシンプルなモチベーションでした。それがかえってよかったのかもしれない。ゴールだけを見て突っ走ることができました。

マエボン は、企画、デザイン、ライティング、編集、印刷、クラファン、配送、プロモーション全てをメンバーの手で行いました。しかもそのやりとりのほとんどをオンラインで完結しているんです。オンラインサロンの命題は、「オンライン」といいながらも結局はどこかのエリアに一極集中しがちなこと。マエボンはオンラインでの制作がメインだったので、気がつけばコミュニティとしての絆も強くなっていました。


私たちの「クリエイターストレス」。

頭の中にアイデアを思いついても形にする機会がないことで溜まる「クリエイターストレス」を解消する場が欲しくて前田デザイン室を作った、と前田さんはよく言います。マエボンは、私を含む「こんなことをやってみたかった」のメンバーのクリエイターストレスを発散する絶好の機会だったのでしょう。

個人的なお話をすれば、私は普段WEBライターなので、編集長はもちろん、そもそもライティングも編集も紙は初めての経験でした。「台割り」とか「ノンブル」とか「ノド」とか紙の印刷や冊子で使う言葉も全く知らず。そこからのスタート。本づくりに関わってみたいけど、なかなかその機会にはたどり着けない、まさに当時の私です。だからこそ必死で夢中になりました。夏休み返上で稼働したので、家族からクレームがくるほど。やりたい気持ちはあるくせに、人の顔色ばかり気にして自分のやりたいことを通す意気地がない私が大きく変わった瞬間でした。『マエボン』のテーマは「童心を取り戻せ」。人の目ばかり気にせずに、そのままでいい、もっと気楽に遊び心を大事にしよう、というメッセージ。本を作ることで私自身が童心を取り戻すことができました。

マエボン参加メンバーの想いは、このマガジンから読むことができます。



継続を仕組みにすることで、マエボンの火を絶やさなかった。

本って出して終わりではないんです。特に私たちのような出版の専門じゃない集団なら、なおさらそこを意識しないとあっという間に消えてしまう。前田デザイン室のサロンとしても、こればっかりやっているわけじゃないですからね。オンラインサロンってカジュアルに人が入れ替わるので、どうしても継続して何かをやることに向いていないのです。お祭りのように短期間で燃え上がることは得意でも、じわじわとトロ火を継続することは組織の形態上難しい。そこは、私自身コミュニティ運営をこの当時やらせてもらっていたこともあって把握していました。じゃあ「継続できる仕組みがあればいいな」と。最初は

・販売書店の情報をすぐに答えられる何かがあればいいな
・その情報は私だけが握らずに、サロンのみんなで共有していたい

から思いついてこんなものを作りました。はい、私が作ったのでダサいのは承知の助です。

でもこのダサバナーを作ったことがきっかけで、これを毎週リレー形式で繋いで行くプロジェクトが生まれました。もちろん今も続けてくれています。

このプロジェクトがあるから、
・販売店舗が入れ替わっても毎週対応できる
・デザインが毎週変わるから見ていて飽きない(季節ネタを盛り込んでくれたりします)
・新しくコミュニティに入った人にもマエボンのことを伝えるきっかけになる
・他のメンバーから見ても、このバナーデザインを見ることで「この人はこんなデザインを作る人なんだ」を知ることができる

一石数鳥も兼ねた取り組みを今日まで続けてきたからこそ、マエボンの火を絶やさずに、存在を言い続けることができました。


燃え尽きないことこそ、一番の恩返し。

マエボンを出してから強く感じるようになったことは「燃え尽きないことこそが一番の恩返しになる」ということ。私たち前田デザイン室での活動は仕事ではありません。だから日頃の生活や仕事との兼ね合いでずっと何かをやりつづけることは確かに大変です。だけど

広告を出してくださった方々、

置いてくださった書店さん、(個人で買い取ってくれた人もいます!)

トークイベントにきてくれた方々、

本を買ってくれた人たち、

何より一緒に作った前田デザイン室メンバー

全ての人との出会いが財産で、その出会いを大事にしたいと思えば思うほど、マエボンを売ることがお返しになると考えるようになりました。本屋さんや編集者さんの話を見聞きしていると、本屋さんから戻ってきた本は古紙になることが多いのだそうです。そりゃそうですよね。出版社も売れない本をいつまでも抱えて置くことはできない。マエボンも普通なら古紙になってもおかしくはない存在です。ちなみに約1000冊のマエボンは前田さんの会社NASUの事務所にあります。

全員にありがとうを伝えるには、マエボンが多くの人の元に届く方法を絶えず考え実行することが一番の恩返しである。だから私はこの1000冊を届けることをこれからもやめません。それが多くの人にとっての幸せで私にとっての幸せでもあるから。


今こそ童心を、マエボンを。

『マエボン』は、現在一部の書店様にて販売しています。1年もの間、謎の雑誌『マエボン』を置いていただいて本当にありがとうございます。感謝してもしきれません。


マエボンは、おかげさまで約1000冊売れました。
でもまだ残り1000冊ほどあります。

今こそマエボンを、今こそ童心を。私たち前田デザイン室が作った雑誌マエボンで、童心を取り戻すマエボンをぜひお手にとっていただけると嬉しいです。


「童心」の次の行方は?

さて、童心の次の行方は?と言いますと、マエボンから始まったある企画が形になろうとしています。それは……モザイクパンツ!


必要のないものだから必要なんだ。
世知辛い世の中だけど、気楽に行きましょう。
童心を、遊び心を大事にね。

の童心マインドが詰まったこのモザイクパンツを形にして世に放ちます。
詳しくは、このnoteをご覧ください。


ただいまクラウドファンディングの準備中。必要ないと言われても勝手に出します。


そして……前田室長がまたしれっと重大発言。マエボン2の挑戦が始まる!?
(2ができたら、1とのセット販売もいいですね💕)



「永遠の童心」をテーマにものづくりを楽しむ集団、前田デザイン室の挑戦はこれからも続きます。(ちなみに1日になると、退会される方の枠が空きます。気になる方はぜひ。)



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